〔筑豊博物研究会会誌第1号の巻頭言です。〕
巻 頭 言
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 「播かぬ種は生えぬ」とは俗説であるが又眞理をうたっている。播いた種子も久しく地に埋もれていることがある。そして忘れられた頃に芽を出し、やがて人々から注目され、更に刮目して見られるようになるまで伸びることもある。戦後即ち昭和21年か22年頃、丁度6.3.3の教育制度が布かれて従来の中学校が高等学校に昇格された時、クラブ活動も促進され各高等学校には新たに生物部の充実や創設が行われた。此の秋、私は教員組合の創立及びその運動展開を企画して忙殺されていたが、これ等地元学校の生物部を統合し郷土愛に燃ゆる学徒の研究会を組織することも忘れられなかった。嘉穂東の入江先生の後援を得て、嘉高、嘉東高、山田高の生物部をも含めて嘉穂リンネ会を創立し、年来の希望実施に邁進せんとした。即ちこの筑豊地方に生物研究会の種子を播いたのである。
さて年来の希望とは、現下我が国の標榜する文化国家建設に即応して生物研究をもって微力ながら協力することであり、第二には将来此の炭田廃坑後の荒廃をいかにして再建開発するかを計る研究基盤をささやかながらも作り上げることである。第三には上記の目的達成のため筑豊博物館を建設し図書館と共に「文化センター」を創立することである。理想に燃えた嘉穂リンネ会も私の菲才のため龍頭蛇尾に終わり、何年間かの空白が過ぎたが、図らずも今夏に芽を吹き返したのである。播いた種子は必ず生えるものだと今更乍ら感心する次第である。又「教育は情熱である」と先輩から諭されていたことを改めて痛感する。私のこの悲願を受け継いでくれた若き学徒等は福間健太郎君を中心に今春より立ち上がって私のサゼッションもないのに着々と地固めを行った。盆過ぎの8月19日拙宅にて第一回の準備委員会を開き数次の会合後9月2日には別紙規約通り筑豊生物同好会がきわめてスムーズに、しかも力強く再発足の運びに到ったわけである。従って会員には上記三高校の卒業生を含み、大学を卒業し実社会に進出したばかりの者か、高校卒業後家業をついだり、就職して生物学に縁遠い者、或いは大学にて目下研究を続けている学徒もいるのである。此の会は十年前のようなに上から私が指導して出来たものではなく、郷土愛に燃ゆる若き研究学徒の下からの盛り上がりにより作られたものである。学窓は異なっても郷土愛と研究意欲に結ばれた集いであるから睦まじく楽しく発展せしめたい。十年の苦節を経て再び萌芽したこの会がやがて見上げる程の大樹となり筑豊文化にその花を咲かせる秋を待ち会員諸氏の親睦と研究格励をお願いして巻頭言とする。(1956.12.27 祝原 道衛)